橋本倫 北溟
“北溟”という言葉がある。北方の大海を指す語だ。 “溟”には、”暗い”の意が含まれ、暗鬱で恐るべき威力を孕んだ北洋のイメージが纏いつく。 私は、この語を冠した画を、宮城野で目にした、洋上に広がる空を満たす限りない昼の光のみで描こうとした。そして、所詮は人間の想像力の絵空事にしか過ぎない”地獄”のイメージなど到底及びもつかぬ惨状を呈する被災地から戻った後、作品の構想は、次第に姿を変え始め、最後に到達した巨大なメイン作品は、いつの間にか、神も仏も登場しない”山越阿弥陀図”の形式を採っていた。 その展示場所、「ポラリス」は、嘗て寺院を包んでいた絢爛たる紅葉の山の一角にある。
このポラリスでの舞台的展示空間、アートステージでは、表の光の舞台の自作と裏の闇の部屋の、やがて冬へと向かう展示時季を先取りするように、晩秋から冬にかけての光景を描いた、幕末の儒者·土井聱牙による銀地六曲ニ雙屏風の左半双が展示される。銀と雪白は、月光の色、闇の光である。ここでは、文人画家吉嗣拝山の作品と自作も絡まり合い、表舞台の祭壇画的な三幅対の大作油彩画と呼応し合うのだ。彼らはいずれも、生涯にわたり大震災と深く関わり合い、巨大な時代の変革に直面した画家だった。営々自然と闘い続け、愛でて来た我が民族の精神の血統を見つめ直す場にすると共に、静寂の中で死者と交感し、激変に見舞われた時代を直視するための、鎮魂と浄化の場とならんことを。
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