原田郁子 気配と余韻
乾いた井戸の底で。
今井栄一
1月、南の島を旅しているとき、原田郁子さんから一通のメールが届いた。3月に、本と音楽が一緒になった「ブックCD」をリリースするという。メールはこんな風に結ばれていた「タイトルは、『気配と余韻』といいます。まさに、”目には見えないけれど、感じる”という、わたしがちいさい頃からだいじにしていることを、タイトルにしてみました」島から帰国した翌日、まだ寒い東京·渋谷のカフェで、僕は郁子さんと会った。郁子さんは「まだ、きちんと整理して話せるかどうかわからないのだけれど」と断ってから、そのブックCD『気配と余韻』について話してくれた。
「今回はスタジオだけじゃなくて、山梨県のギャラリートラックスというところでも録音したの。元保育園の、面白い空間でね、とても寒かったんだけど、蒔ストーブがパチパチいってる部屋で、少しずつ少しずつ録音しました。朝弾くピアノと夜弾くピアノでは音がぜんぜん違うし、天気や陽射しに影響を受けながら歌っている自分がいた。そうゆうのを、エンジニアのZAKさんに丸ごと記録してもらったような気がする」僕はその場所を想像した。薪ストーブの匂いを感じた。
「クラムボンで『Musical』というアル·バムを作って、ツアーをして。ドキュメンタリー映画『たゆたう』を見てもらえたらわかると思うんだけど、ものすごい勢いで爆発が起きてね。すべてが終わって、しばらくその余韻の中にいたんだけど、だんだんひとりに戻っていっその声があんまり小さいもんだから、ひとりでもぐってって、静かな気持ちにならなきゃいけなかった、という感じ。そうゆう時間がわたしには必要だった。毎日さ、携帯電話とかメールとか、なかなかひとりでぼんやりできないよね。でも、次にソロを作るなら、音楽の中で静かになれるような、ふっと自分に戻れるような時間というか、そんな作品が作れたらいいなぁって思ったんだよね。本を作ってみたいと思ったのも、喫茶店とか電車の中でもいいんだけど、読んでるうちにいつの間にか周りの音が聞こえなくなってって誰にも見つからずに想像力でどっかに行ける、というかさ。本を読むってひとりだけの時間だよね。だから、今回のブックCDという形はとても贅沢で、面白い試みだなーと思ってる」その日以来僕はずっと、この『気配と余韻』を聴き続けている。独特の世界がここにはある。
世界というか…..そう、手ざわり。じっと聴いていると、なんだか乾いた深い井戸の底に下りていってじっと座っているみたいな気分になる。さびしい。でもそこは静かで心地よく、自分だけの世界だ。そして、希望を感じる。
すべての楽曲のアレンジと録音を、郁子さんとじっくり話しながら進めていったのは、エンジニアのZAKさん。先日ギャラリートラックスで会ったとき、彼はこう言った。「気配、というものを大切にしたかった。この場所の気配、彼女の気配。この音にはそれ(気配)が確かに現れていると思う。音は生きているからね、場所を伝えるものだから」このブックCDをひとりでも多くの人たちが受け取れたらいいなと思う。原田郁子さんが放った彼女だけの世界、その手ざわり、空気、気配、余韻を。
- SNS